[ 感想 ] :: IMPRESSION
「口語短歌の韻律」特集
2026/02/01
はじめに
『短歌研究』2026年1+2月号の「口語短歌の韻律」特集がとてもおもしろかったので、拙いながら感想や考えたことを書きました。
全体の感想
評論に苦手意識を持っている自分からしてもかなり理解・共感できる部分が多く、自分も一年半くらいではあるけれど短歌やってきたんだなという感慨に浸ったりしました。 どの筆者の方も意識的に読者フレンドリーな書き方をしてくださっているのが伝わってきて、とにかくありがたいです…。
また、体感として永井祐さんの引用率がすごく高くて面白かったです。やっぱりレジェンドだなと。チーム評論(っていい響きですよね)内で誰を引用するかみたいな話し合いがなかったとしたら、さらにすごいです。
荻原裕幸「偏愛的現代口語短歌抄」
俵万智や穂村弘のスタイルは、前衛短歌に由来する破調文体からの影響抜きには考えられない。それを思えば、枡野浩一の、ほぼ正調をつらぬくスタイルは、何かをリセットして、その後に続く、現在の口語短歌の、ゼロベースに近いところでの模索だったと言えるように思う。
荻原裕幸「偏愛的現代口語短歌抄」
2024年に短歌を始めた身としては、口語短歌の黎明期(ここでは俵万智さんや穂村弘さんが現れた時期をイメージしています)の話は正直ピンとこないことが多く食わず嫌いしてしまっていたのですが、この評論を読んでしっかり勉強したいなという気持ちになりました。単純に先達へのリスペクトという意味もありますし、何か新しいことをするときに二番煎じになってしまうのを防ぐためにも、という打算もあります。
孫引きで申し訳ないのですが、『短歌ヴァーサス』5号(風媒社、2004年10月8日発行)で枡野さんは「既存の短歌のほとんどは一般の場所に来たら通じない」「渋谷の電光掲示板に映ったときにおもしろい短歌をつくりたい」といった発言をされているようです。
文体はどのような〈私〉を押し上げるか──新鋭歌集の現在 今回本号の特集で取り上げられている歌集を眺め渡すと、平成一六年現在における現代短歌の多様性をギュッと凝縮した感がある。私 petalismos.net この考え方にはかなり影響を受けていて、もし渋谷の電光掲示板に突然自分の短歌が映ったとき、おもしろさに限らず恐怖とか困惑とか何かの感情を引き出せるのか、という観点で作歌をしているところがあります。とりあえず、枡野浩一さんの全短歌集を読み直そうと思います。
井上法子「口語短歌における〈二字空け〉の可能性――『日本脱出したし』から『日本の中でたのしく暮らす』へ――」
「一字空けについての認識をどんどんどんどん深めていく」ことで演算できる〈二字空け〉。その空白が、言葉とことばのあいだに穏やかな流れを生み、読み手に余韻を残す――このように見ると、〈二字空け〉は断絶ではなく、時空を柔かく繋ぐ働きをしていることがわかります。
井上法子「口語短歌における〈二字空け〉の可能性――『日本脱出したし』から『日本の中でたのしく暮らす』へ――」 二字空けの短歌を一字空けに変えたバージョンを読んだとき、確かに全然違う…とすごくおもしろかったです。 〈二字空け〉と言われたとき、私も真っ先に思い浮かぶのが永井祐さんの短歌なのですが、この技法を口語短歌で(少なくとも歌集の形で)初めて開発したのが永井祐さんという認識で合っているでしょうか。本記事がそうだとは思わないのですが、ややもすると〈二字空け〉の評論 ≒ 永井祐の歌人評になってしまいそうな気がしていて…。
座談会でも言及されていたように、最近は〈一字空け〉がシンプルな可読性向上のために使われたりしがちなので、〈二字空け〉の短歌が今後増えるような予感がしています。
奥村鼓太郎「普通に普通な韻律」
永井の韻律が普通さを目指して作られているのに対して、「普通な韻律」はその他に主題があり、それを追求するなかで結果的に普通な韻律に落ち着いているように感じられるのである。
奥村鼓太郎「普通に普通な韻律」 上記の状況を『ナチュラルメイク的』/『すっぴん的』でたとえられているのがキラーフレーズだと思いました。
定型に則った「普通」の韻律の短歌は、逆に読者側の力量が試される気がします。たとえば連作の中から一首抜き出して感想や評を書くときに、私だったらついちょっと変わった韻律のものを選びがちなのですが、初読では読み飛ばしてしまいそうな歌にしっかり向き合うのが短歌上達において大事なのだと思いました。
阿波野巧也「句またがりの現在地」
ミクロに見るとたった一音の出し入れでしかないのだが、その一音の出し入れを人々の心に馴染ませるのがとても難しいのが韻律の面白いところである。
阿波野巧也「句またがりの現在地」 一年くらい前にBOOTHで「率」九号をゲットして、阿波野さんのとにかく精緻な韻律論に驚いたのを覚えています。今回の主題である丸田洋渡さんの歌集は、韻律に関して明確に新しいことをやっているのはわかるものの私の力量ではうまく言葉にできなかったので、非常に興味深く拝読しました。 また、『レイドバック』の箇所などは、書き手によっては自明のものとして使用しそうな用語をしっかり説明してくださっていて、音楽全般に疎い私にはとてもありがたかったです。
一音の助詞による句またがりに関して、今回の評論では引用されていないのですが、
霧の都市で霧の恋愛していたい左ウィンカーのハイフラッシュ
丸田洋渡『これからの友情』 のことを考えたりしました。(丸田さんがnoteにアップされている連作を最近読み返していてめちゃくちゃいいな…と思った歌で、しっかり歌集に収録されていて嬉しかったです。)
下の句が8/6になっている歌のなかでもトップクラスにすきなのですが、とにかくバランス感覚の良さを感じます。初句六音の余韻が下句に伝播しているような感覚で、h音の連続からshでスパッと終わる流れも美しいです。 そして、ここからは本当に偏りすぎている極端な意見としてスルーしてもらいたいのですが、〇〇の××というフレーズで「(六音)の(七音名詞)」とかがちょっと恥ずい、みたいな感覚が自分にはありまして…。七七の含羞というか、下の句が決まりすぎてないかなと不安になる感じ。 もっと言うと、フースーヤの中華コレクションっぽさ(例:「回鍋肉のロングスカート」)を感じてしまうことが多いです。 そんな偏食の状態なので「(七音)の(六音名詞)」のずらし方がきらめいて見えるというのもあるなと思いました。意味不明で失礼なことを言ってしまいすみません…。
平尾勇貴「韻律と口語の速度について」
これらの穂村の実践に見いだせるのは、五七五七七の定型律を決まりごとと見なした上で、それに揺さぶりをかけ解体することを目指した遊戯性であるように思える。
定型を制約として意識した上での、定型がもつ休拍やゆとりを極限まで排除し酷使するような競技性
平尾勇貴「韻律と口語の速度について」 韻律は内容との兼ね合いに強く負う、というのは私も強く感じています。それぞれの引用歌に対する非常に緻密な読み方の提示がおもしろく、特に
YOU MOVE, YOU’RE DEAD. 証明写真機のなかの失明しそうな光
青松輝『4』 の韻律の話が特に興味深かったです。
私は初読時はなんとなく 〈ユームーブ/ユアデッ(ド) 証明/写真機の/なかの失明/しそうな光〉 と読んでいましたが、本記事で提唱されている初句切れ的なリズムの方が、内容的に確かに合致しているなと。
もちろん正解はないのですが、「引用元」みたいな話に持っていくと、 ”YOU MOVE, YOU’RE DEAD.” はHUNTER×HUNTERに出てくる『動くと殺す』(キルア=ゾルディック)という台詞の英語版だと思うので、イメージとしては
YOU MOVE, YOU’RE DEAD.動くと殺す
みたいに透明なルビが振ってあるのかなと考えています。そういった背景情報を踏まえても、初句七音っぽく読むのがいいのかなという気もします。
髙良真実「口語短歌、破調感覚のメカニズム」
定型は感覚的なものである以上、不変ではない。短歌らしさを持つ破調歌が新しい基準となって、それを応用した別様の破調歌が登場することもありうる。現に私は、基礎的な句跨がりの感覚として、東京の歌会の現場で「下句三分割」と呼ばれるものが共有されていることを観察している。
髙良真実「口語短歌、破調感覚のメカニズム」 短歌・川柳耳学問を聴いていて、髙良さんが今回の企画の発起人というのを知ったのですが、やはりめちゃ気合が入っていて読み応えがありました。
「下句三分割」については、この考え方をインストールできてから色々な短歌がとても読みやすくなった感覚があります。最近の歌集でいうと丸田洋渡さん『これからの友情』や瀬口真司さん『BEAM』を読んでいるときに特にこの傾向は感じていて、読み慣れた自分にとっては句跨りであることすら意識していなかったなと気づきました。
作る側としては、下句三分割を耐久試験的に使ってしまうというか、短歌はどこまで短歌でいれるんだという実験でやっている感覚はあります。短歌を何だと思ってるんだと怒られそうですが…。
最後に
短歌を作るときも読むときも韻律を重視しているので、たくさんの濃い韻律論を拝読できて嬉しかったです。 引き続き勉強していきます!